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sifu hiruma  胡蝶の夢  

日中気功整体院 武術白勁会 日々のこと・・・。

天から見れば

2021年02月14日(Sun) 23:49:37


個人的に太極拳を練習しているのだが、その知り合いの方からある映画を紹介された。

タイトルは「天からみれば」という作品である。


日本画家 「南正文」さんとその師匠 - 「大石順教尼」。

この二人に共通していることは、「事故により両腕がないということ」

「堀江六人斬り事件」で一人だけ生き残ったが両腕を斬り落とされた「大石順教尼」により

「南正文」さんは口で筆咥え絵を描くということを、順教尼よって教えられ、日本画家としての生涯を

描いた実話ドキュメンタリー作品である。


私は、南さんが映画の中で「幸せな条件、不幸の条件ってあるのだろうか?」

と言っていたのが妙に心に残った。

確かに「今、自分が不幸であるとか、幸せであるとかというのは

完全に自分自身が決めることであって、他人が決めることではない」


何かの終わりは何かの始まりであるし、幸せや不幸も見方を少し変えれば実に様々なことが見えてくる。

ただ、一般常識というものはあまりにも強力であり、幸せや不幸のような問題もつい常識のような何らかの

基準に当てはめたくなるものだ。


昔から考えていたことなのであるが、実は、一番人を傷つけるのは真に常識的な人たちかもしれない。









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忘れられない顔

2021年01月30日(Sat) 13:24:20


ダルビッシュ有の野球をやる子供達の投げ過ぎ問題を指摘して感じた事である。

私の院にも、中学生で強豪校の野球部に入っている男の子が来院したことがあった。

彼の顔は非常に疲れ切っていて、聞けば明日も遅くまで練習があるという。

私はこんな疲れ切っている子供の顔はあまりみたことがなかった。

その子が言うに監督や先輩も恐ろしい存在であり、とても意見などすることなどできないようだ。

私たちの時代はそんなことは当たり前であったが

今でも、こんなことをやっているのかと本当に呆れる思いであった。

強豪校の学校の先生も子供たちのためといっているが大半は名前をあげて

自分の評価をよくすることしか考えていいない。

子供はそういう人間にとっては商品としかみていないのだから。

坊主頭にする・・。

先輩に挨拶しなかったらグランド100周・・・。

才能あるものへのしごき・・・。

頭がおかしい人の集まりである。

カルト新興宗教や監獄に入っているのと違いがあるのだろうか?


一度そういう場に身をおけば、そのような環境からに逃げることができないかもしれない。

特に自分に厳しい人などは・・。

だが、本当に勇気ある人間はその場を立ち去ることができる人間だ。

結局のところ大人の社会のブラック企業なども、諦めた人たちが

多かったからそのような状態になったのだとおもう。

だから野球に限らず、その場に身を置く全員に責任がある。




自分と競争することのススメ

2020年10月22日(Thu) 13:59:01

学校のような小さな世界では

クラスや学校単位の小さな視点の中でしか

物事を考えることはできない。

絶えず周りの子と比較され、その中で自分は優れているのか否かを

評価され,また自分でも評価をする世界である。

社会にでても同じことだが、学校での競争、会社の中での競争

そして、ご近所同士の競争。人間は競争するのが好きである。

上を見ても下を見ても横をみても競争や比較対照にはきりがなく、この世界に

はまってしまうと、周りを見て自分が幸せか否か基準を外に求めなくてはならなくらる。

そしていつの間にか、本来の自分が求める幸せとは別の方向に迷い込む。


もし、この比較の世界に苦しむのであれば、毎日、毎日自分を競争相手にしたらいい。

昨日の自分より少しでも成長できたか否か。

そこには、嫉妬することもないし、他人を蹴落としたり、見下すこともない世界がある。







世の中を変える簡単なこと

2020年08月21日(Fri) 16:55:33


単純に人の話をちゃんと聞ける人が増えれば

確実に世の中は変わると思う。

子供の話、恋人の話、友人の話

耳だけでなくちゃんと体で聞くこと。

話した方は自然に自分の方向性を見出してゆく




学校について思うこと

2020年06月15日(Mon) 18:55:34


社会人になって20年近くにもなり

ふとした時に、学生時代のことをよく思い出す。

私自身の感想だが、小、中、高の学生時代よりも社会人のほうがはるかに楽である。

幸い大学では自分の好きな勉強に打ち込めたが、中学が大学のようなシステム

であればよかったなとつくづく感じる。

あの膨大な時間を各個人が好きなことに打ち込めば

色々な才能が開花するのではないだろうか。


ただ、学校に得意な分野がなかっただけで

劣等生とされてしまい、人格まで否定され学校のシステムの中で

才能を見出すことなく潰れていった人間はかなりの数になるだろう。


集団の中の子どもたちの世界は椅子取りゲームみたいなところがあり

先にキャラを決めたものが勝つような部分が少なからずある。

周りからのプレッシャーなどからどうしようもなく知らず知らず

自分自信ををおとしめてしまう子たちもいる。

今風にいえば自己責任なんだろうが、自分がそのような状態に

なっても自己責任だからというように言えるほど、人間は強くはない。


また学校で植え付けられる過度の競争意識は社会に出てからも

比較競争する思考が身に付いてしまい。

この類の人間は絶えず周りと比べないと自分の幸せを感じられなくなる。

それは、自分のなかに幸せの尺度があるということを教えられなかったからだ。


社会に出て逆境に立たされた時に役に立つのは受験中心の勉強ではないだろう。


各人が能力を発揮できる学校の教育システムにすぐにでもしてほしいと思うのである。