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sifu hiruma  胡蝶の夢  

日中気功整体院 武術白勁会 日々のこと・・・。

伝統療法通信 №47武道と人間関係の話

2021年02月27日(Sat) 18:19:02

我々、日本人にとって柔道や剣道などの武道の世界は、身近でなじみ深いものがあります。
その武道の世界においては、自分と相手との「間合い」が非常に重要視されます。
自分にとって有利な距離。相手にとっての有利な距離、お互いに拮抗していて動くことのできない距離。
この「間合い」を上手にとることが戦いを有利に進める秘訣であります。
これは人間関係においても言えることであり、親子、恋人、友人などのあらゆる人間関係においても
互いの関係を適切で心地よい距離に保つことで、お互いにうまく関係が保てます。
SNS全盛の現代、人間関係も大きく変化していますので、自分や相手を損なわない適切な距離感が重要だと思います。
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易経 30卦 離為火

2021年02月26日(Fri) 16:45:35

「離は貞に利し亨る」

火が燃える事を人間関係に置き換えて考えてみる。


火は燃え付く対象があってはじめて存在できる。

火は燃える物が濡れていれば途中で消えてしまうし

すぐに燃え尽きてしまう物であれば、火も存続できない。

消されず、消さず、自らが上手に燃え続けその能力や個性を活かすために

適度な人間関係の距離感、関係性を築くことが大切である。

※易経は、非常に奥深い学問であります。このサイトでは易経、各卦で印象に残った言葉のみを記載しています。

易教49卦 沢火革

2021年02月23日(Tue) 10:43:19

 「革は、巳る日にしてすなわち孚とせらる。元いに亨る貞に利ろし。悔い亡ぶ」

夏から秋にかけ獣の毛が抜けおち遂には完全に新しい毛に生え変わる。それは、毎日獣を観察していても微妙な変化である。
このように、新しい変化をおこすために、不必要なものを捨てること、現代の「断捨離」にも通じる。

季節が移り変わり、新しい場面に移行するのに、いつまでも執着をしていたのでは、変化においつけ
ず、やがて来る様々な状況に対応できなくなる。

しかしながら、古きを去るにせよ、「本道」正しい道筋は守らなくてはならない。


※易経は、非常に奥深い学問であります。このサイトでは易経、各卦で印象に残った言葉のみを記載しています。

天から見れば

2021年02月14日(Sun) 23:49:37


個人的に太極拳を練習しているのだが、その知り合いの方からある映画を紹介された。

タイトルは「天からみれば」という作品である。


日本画家 「南正文」さんとその師匠 - 「大石順教尼」。

この二人に共通していることは、「事故により両腕がないということ」

「堀江六人斬り事件」で一人だけ生き残ったが両腕を斬り落とされた「大石順教尼」により

「南正文」さんは口で筆咥え絵を描くということを、順教尼よって教えられ、日本画家としての生涯を

描いた実話ドキュメンタリー作品である。


私は、南さんが映画の中で「幸せな条件、不幸の条件ってあるのだろうか?」

と言っていたのが妙に心に残った。

確かに「今、自分が不幸であるとか、幸せであるとかというのは

完全に自分自身が決めることであって、他人が決めることではない」


何かの終わりは何かの始まりであるし、幸せや不幸も見方を少し変えれば実に様々なことが見えてくる。

ただ、一般常識というものはあまりにも強力であり、幸せや不幸のような問題もつい常識のような何らかの

基準に当てはめたくなるものだ。


昔から考えていたことなのであるが、実は、一番人を傷つけるのは真に常識的な人たちかもしれない。









過酷な地に暮らす人たち

2021年02月11日(Thu) 16:11:07


最近ネットがつまらなくなったという話を仲間内で話した。

その理由は様々あるとおもうが、今までパソコンを使う一部の人達のみに限られていたのが

資本のある大手企業が参入したこと、個人がスマホをもつことになり大きく門戸が開放されたのも

理由のひとつかもしれない。

最近は検索しても、マニアックだが良心を感じる個人サイトやブログは

次々と姿を消してゆき、検索しても表面的な情報しか出てこなくなってしまった。

また、何かをいえば叩かれてしまう時代というのもあり、個人商店のようなサイトは

自主的に閉鎖していったのだろう。


私はふと、ネットの現状は、世界の状態とよく似ているのではないかなと思った。 

世界ではどういうわけか、非常に過酷な環境に住んでいる人たちがいる。

もしかしたら、そのような人たちも、元々は豊かな土地に住んでいたのだが

力をもった別の種族に追いやられて、あえて人が好まない過酷な地に住んだのかもしれない。

土地は豊かでなくても、脅かされずに安心して住める場所であればいいと考えた人たちが

逃げるように過酷な地に住むことになったのかもしれない。